レース情報

Tour du Limousin&Chateauroux Classic: 第二ステージ Droux-Uzerche Tourisme-Depart fictif-Ravitaillement-M.G.2-Arrive'e  
執筆者: 鹿
発行日付: 2007/10/23
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「ナカジ、ナカジ、ナカジ!」

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1'er Tourisme


 レースのスタートが11時なので、その前にスタート地点近くの村を観光しようということになった。今日はすでに朝から雨である。気温も下がっていたため、Tシャツの上にブルゾンを一枚羽織る。 
 僕たちは、選手とレース・スタッフ以外の8人で、ホテルからまずスタート地点のDrouxへ向かう。人家の垣根のような小さな法面(のりめん)に、灌木を刈り込んだDROUXという緑の文字がある。そこが集落の中心であり、これまた小さな教会がある。この広場周辺が今日のスタート地点である。すでにいくつもの車両が到着しており、観客も集まっていて、寒村はにぎわい始めている。僕たちの車に大会関係者がやって来て、挨拶を交わす。その中でPTA役員のような婦人が幼い息子を連れ、さて行きましょうかと自らの車に乗り込み、僕たちを先導する。車の中では、農道を先に行く婦人のことが話題になった。どういうわけか、フランス人の社会的地位は、人物の態度に明瞭にあらわれる、というのである。
 「地方の村になると、偉くなるほど髭が長くなるんですよ。」と浅田さん。「な、裕輔。本当にこんな風だもんな」監督は、カイゼル髭を指で描き、先を耳の下まで引っ張ってみせながら、コーチに同意を求める。そういえば、今日の会場にそれに当たる人物を見かけたことを、僕は思い出していた。このときフランス人は、にぎやかな髭をつけ、群れの中で威勢を誇るマントヒヒとなった。



 やがて雨に濡れた黒い石畳の町le Doratに入り、厚い石の壁に覆われた教会の脇に着いた。ここで新たに若い男がやって来て、観光ガイドを買って出た。この町の目玉は、この教会である。あきらかにロマネスクの教会で、創建は1000年ぐらいであろうと思われる。こういう、いかにもヨーロッパらしいロマンチックな教会の多くは地方にしかない。ヨーロッパのロマンスに出会うには、車で何時間もかかる、こんな村へと深く入って行くのがいい。
 この教会堂はなかなか感心な造りで、平面図が十字となる、大聖堂の風格を宿していた。優男のガイド氏は勉強熱心らしく、この教会の建立から建築様式まで、ずいぶんと精通していた。彼が言う「コレージュ」という用語に、僕たちの皆が行き詰まったが、要は平信徒がこの教会堂を献じたわけで、そのせいか一部が村の防壁として用いられた跡がある。
 この村の住民は進取の気性に富んでいるらしく、東の扉口はイスラム風の波形アーチを持っている。スペインで開花していたサラセンの様式を、美しいと感じて取り入れたのである。おそらくはサンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼*の旅路の土産なのだろう。そんなことを考えながら、薄暗く湿った堂内を巡るうちに、僕は旅愁にとらわれて、この中世の石畳の町をもっと歩いてみたい、と思った。

*リムーザン地方の首府リモージュには、中世フランスのスペイン行き巡礼路4本のうちの一本が通っている。この道をたどれば、フランスとスペインの中世をめぐる、みごとな歴史探訪になるだろう。

Depart fictif


 教会堂の村を辞してスタートへ帰ってくると、選手たちが到着していた。教会脇の狭い坂道にわれわれの車が駐めてあり、プロツアーの選手たちに混じって、井上選手や佐野選手がこの坂を使ってウォーミングアップしている。
 僕はトイレに行きたくなった。幸也くんが、僕らはいつもあそこのカフェを借りてますよ、というので、村の入り口にあるカフェに入ることにした。レースの時には気軽に使わせてもらえるよ、とはいうものの、小さな店内に地元の人ばかりがいる中で、トイレのために入ってゆくのは、やはり気が引ける。ついでにコーヒーでも飲むかとポケットの小銭を確かめながら、カウンターの中の赤ら顔の無愛想な主人に声をかけると、意外にあっさりとトイレの扉を示してくれた。



 コーヒーは、やはりヴィラージュで飲むことにした。昨日の女性が、今日は赤いターバンと一枚布を巻き付けたようなドレスを着て、民族衣装風のファッションで決めていた。
 

 スタートが近づき、選手たちが集められる。車を駐めた坂道の先にあるT字路に、ぎっしりと選手が詰め込まれている。今、すぐ眼の前にそろっている色鮮やかなジャージの中に、スペイン・チャンピオンやツール・ド・フランスの立役者たちがいるというのが、なんとも不思議である。しかし、よく考えてみれば、ツールだってこうした寒村を走るわけで、自分はその現場にちょうど居合わせているのである。このフランスよりほかにツール・ド・フランスのコースがあるわけではない、しかしそう言い聞かせてみても、この小雨降る片田舎のT字路の光景とシャンゼリゼは、どうしても結びつかなかった。


 スタートとなり、選手たちが流れ始める。伴さんと吉賀さんが構えたヴィデオ・カメラの前を通過し、ずっと前で高木さんがその中の獲物を狙っている。岩佐さんは今日もバイクの男に連れられて隊列を追う。

Ravitaillement
 小さな町の教会前で道に迷いながらも、今日もレース集団の先回りをする。補給地点に向かう前に何カ所かで車を駐めて、沿道で観戦する。ひとつの交差点では、Gendarmerieと背中に書かれた青いシャツを着た女性が道をブロックしている。小さな紺色のキャップから、束ねた金色のポニーテールが垂れている。
 「ジャンダルムはですね。憲兵です」と、浅田さんが翌日車の中で解説してくれた。
 「これはポリスよりも怖いんです。ピストルを撃っていいんですよ。僕がスピード違反で通り過ぎようとしたら、手がここまで行きましたからね」と、ハンドルを片手で持ちながら、もう一方の手を腰のピストルに手をかける仕草をする。
 清水コーチと交差点で車を降りる。雨は小止みになったが、相変わらず気温は低い。多方向の交差路だったが、観客の列がコースを示していた。道は緩やかに交差点へ下ってきてきつく左折し、坂を上る。しばらくして、集団が坂を下って来、総勢でターンして、ダンシングに切り替えて坂を上っていった。その背中を見送りながら、今日もチームが展開に恵まれないことを心配する。
 今日の補給地点は平坦な直線路で、道幅も広い。小さな石を組んだ古壁の前で補給するが、その石壁の向こうは、どうも村はずれの墓地のようだ。
 ここで中島選手が遅れているとの情報を第一チームカーから受け、僕たちは車を穴田さんと交換した後、彼を回収することになった。また雨が降り、古い石壁や黒っぽい緑の木々が、曇り空の弱い光をさらに吸収している。
 僕たちが集団を待つ間に、スキルシマノの土井選手が一人でやって来た。出走しなかった彼は、練習でこの雨の中を走っているらしい。穴田さんたちとしばらく会話した後、また先を急いで出発した。そして、集団がやってくる頃合いを見て観客が集まり始め、選手たちがあわただしく過ぎ去ると、再び通りは人気がなくなった。僕jは、ゆっくりと車を走らせようとする家族連れに近づき、康司選手のポストカードを手渡す。沿道の人に渡してくださいと、彼から頼まれていたものだ。
 内田さんが銀色の長い棒を2本、僕たちに手渡すと、彼らはゴール地点へ向かって出発した。裕輔さんと二人分の昼食用サンドイッチである。
 すっかり人がいなくなり、さて本当に彼はやって来るのかと心配になった頃、直線路手前の坂道を下ってくる影が、遠くの家並みの切れ間から見えた。
 「来た。ナカジだ」僕たちは車に乗り込んだ。
 彼はブレーキ・ブラケットにしがみつくようにして、懸命にペダルを漕いでいるが、心配したほどには消耗しておらず、併走していると時速は40キロ近く出ていた。そのまま補給地点を通過すると、冷たい林の中の上り坂に入った。集団から17分遅れである。


-中島康晴選手、果敢なアタック後の遅れ。戦線復帰を目指す。

 「ちょっと魔法を使いましょうか。」と、ハンドルを握る裕輔コーチが僕の方を振り向いた。「後ろのクーラーボックスからボトルを一本取ってくれませんか」
 コーチはしきりに後方を気にしていた。
 「あれは審判かな?」そのバイクが通り過ぎると、彼は窓の外を併走する中島選手へ新しいボトルを差し出す。




-中島康晴選手、果敢なアタック後の遅れ。補給中。

 彼はボトルに右手をかける。しばらくそのままの格好で、彼は車窓の向こうで坂を上るが、コーチはじっと前を向いたままである。その間、1分ほども経ったような気がするが、実際はその半分もなかったろう。「あまり長くやると、身体が冷えるんですよ」とは、裕輔コーチの弁。
 コーチがボトルから手を離すと、中島選手はゆっくりと離脱し、車の前へ出た。ふと裕輔コーチはバックミラーとサイドミラーを交互に見やり、前を行く中島選手に声をかけた。
 「おい、ナカジ。後ろからスリップストリームの一人が来るから、二人で行け」中島選手は緩い坂を上りながら、後ろを振り返る。そして、後続を待つために自分のペースを落とした。
 やがて一人の若い選手がやって来て、中島選手とランデヴーとなった。その選手は、中島選手よりもずっと細く、背が高い。二人が並ぶと、ふくらはぎの太さが対照的だ。しかし、中島が身体を使ってトルクを稼ぐのに対し、そのフランス人は軽々と脚を回している。しかし、ペダルの高い回転数からは、いささか焦っているような気配すらあった。せっかく待ってくれたというのに、あわよくば中島選手をちぎって前へ行こうという腹づもりでもあるらしかった。一方の中島選手は、時に後ろへ下がることもあるものの、決して相手の独走を許さない。常に自分の掌中に相手をおさめていた。
 二人が坂を下ろうとするときに、清水コーチが前を行くフランス人の背中を見て、つぶやいた。
 「あいつカーブを怖がってるなあ」
 ちょうど右カーブを曲がる時だった。
 「身体がカーブの内側に倒れていない。あれじゃ、かえって危ないんですよね」その自転車は、まるで棒立ちになったように、おそるおそるカーブをやり過ごしていた。このクラスのレースで、初歩的なライディングに欠陥を抱える選手がいるというのも不思議だが、急坂を軽いペースで登り切る、その脚を買われたのか、とも思う。 
 「彼はひどい落車をしたことがあるんだろうか。でも、これからターンの恐怖を克服できるんでしょうか。」僕は、カーブの縁を鋭く切り裂いて滑走する中島くんのライディング・ポーズと見比べながら、その若い男の将来を思った。
 「さあ、どうでしょうね」


-中島康晴選手、果敢なアタック後の遅れ。戦線復帰を目指す。

M.G.2 
 僕たちは、4人で雨の中の寂しい風景を通過していった。僕はコースマップと道路地図を見比べ、地図にある等高線と道のよじれ具合を観察する。そして窓を開け、「この坂を越えればずっと下りだ、がんばれ」と、前の二人に声をかける。しかし、その予測に反して道は、やや傾斜が緩くなったかと思うと、再び上昇し始める。しまったと思うも、懸命に丘や峠を越えてゆく中島くんに、何かしてやらねば、と思う。
 「きのう、地元のサイクリストがホテルにやって来て、今日のコースは相当にきついから気をつけろと言うんですよ」と裕輔さん。「いつもリムーザンは、ゴール前の坂がエグイんです」
 コーチによると、ひとステージの平均時速が速くなると、そのレースの難易度が低いと見なされるので、主催者はコースマップをしばしば「調整」することがあるそうだ。道理で、山岳ポイントに近づいているはずなのに、なかなか通過できないわけだ。しかし、それも時間の問題で、われわれの目指す目標は、調整されたマップをどのように眺めても、近くにあった。
 「山岳ポイントが近いって、本当ですか。あいつ、もしかしたら集団に追いつけるかも知れないぞ」すでにレース無線で集団の山岳ポイント通過を確認していた裕輔さんの顔が明るくなった。「ナカジのペースも上がっているみたいだ。行けるんじゃないかな」
 僕は山岳ポイントにさしかかる手前にある、高速道路をまたぐ高架橋を確認した。
 待望の山岳ポイント手前では、幾重にも坂が連なり、その沿道に家屋が現れ始めた。そして、相当に遅れているはずの僕たちの通過を、まだ楽しみに待っている人たちがいる。僕は上り坂のために上体を後ろへ傾けながら、玄関先に立っている人々の顔を眺めていた。時には集落がとぎれ、うっそうとした林に包まれた一軒家の前に年老いた夫婦が立ち、寒さに顔をこわばらせ、ゆっくりと通り過ぎる僕たちの車内をじっと見つめていたりする。こういう人里離れた場所を通り過ぎる東洋人が、いったい年に何人いるだろう。
 やがて僕たちは、2級山岳ポイントを越えた。

Ligne d'Arrive'e
 僕らの一行が、いつ果てるともなく現れる上り坂を越えていると、前方に人影が見えた。山岳ポイントを過ぎて脱落した2人の選手である。彼らも、しばらくは負けじと坂を上っていたが、やがてはあきらめて中島選手とそのパートナーに道を譲り、後退していった。われらが二人はすでに自分のペースを取り戻したのだろう。10%にも迫る坂が現れても、淡々と乗り越えていった。
 道は、両側から高い木が覆う上り坂を抜けると、広く開けた平原に出た。片側が傾斜してはいるが、久しぶりに開けた眺望である。これでようやく中島くんも楽だろうと安堵したが、牧場の柵がとぎれ、藪が現れるようになると、また道はゆっくりと上り始めた。
 「ああ、幸也が落車だ」レースの情報を得た裕輔コーチが叫んだ。
 すでに佐野選手が落車していたが、ゴールに近づいたところで、こうして再び現実に呼び戻されるように、トランシーバーから不運な知らせを聞くことになる。僕はせめてもの思いに、その原因をたずねたが、どうやら隣の選手が先に転び、幸也選手が前輪を払われたようだ。
 「前輪を持って行かれたのなら、もう仕方ないですね」
 フランスという外国で、しかもこのような厳しい条件下に挑むわがチームは、自分からミスを作ってはいけない。日本のチーム「だから慣れていない」と「なのにミスをしない」とでは、よしんば成績が出なくとも、ことあるごとの評価が格段に異なるだろう。外国人を見る眼とは、そういうものだ。
 「良いレースをする日本のチームだ」
 ここ、ヨーロッパでそう呼ばれたいのである。
 前を行く中島くんは、しきりにパートナーのフランス人に話しかけている。苦しい局面では相手を落ち着かせ、下り坂では滑らないようにスピードに気をつけろ、と左手を下げてペースダウンを促していた。相手の方からは、とりたてて彼に気をつかうことはなかったが、最後まで残った同志として、中島くんを受け入れている様子だ。僕は、遠くの見えないレース集団を想いながら、二人の後ろ姿を好もしく思って、眺めていた。
 僕たちは一旦高原を下り、川を渡って、ゴールの町Uzercheに入る。しかし、川を渡ったところで、また上る。右手の丘の上には、黒っぽい石で組んだ古城の厚い外壁がそそり立っていた。ここにも中世が息づいている。


-中島康晴選手、果敢なアタック後の遅れ。ゴールの町Uzerche市内へ。

 「ああ、ここも昔レースで走ったなあ」と、裕輔さんが思い出を漏らす。
 この町でも、街角には人々が立ち、遅れてたどり着く僕たちを、声援と拍手で迎えてくれる。そして町を一周し、ゴール前まで来た時、車の僕たちは駐車場へ向かうため、中島選手の背中を見送る。彼は、最後にしつらえられた、きつい上りを一気に駆け上がる。すると、やや遅れていたフランス人が彼に並んだ。
 ゴールは二人で手をつないで越えたらしい。
トレーラーの荷台では、先にたどり着いた選手たちが、寒さに震えながら着替えをしていた。
 「僕はドーピング検査に行くから、早くみんなに何かあげて」と、抜き打ち検査にあった晋一キャプテン。「今日はお湯があるのか。ああ、シロップもそこに入れてあげて」
 この時、猛烈な音とともに、雨が小型トレーラーの屋根を打ち始めた。



 ホテルに帰ると、高木さんから、「今日の累積標高は3000メートルだそうです」と聞いた。
 
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